てぃおるの妄想録。

妄想・思考のはけ口。書きたいことをうんざりするほど書きたい。

かわいいは正義?

かわいいものって最高だよね。かわいいもの大好き。

いや、いきなり何を言うんだ気持ち悪いと思うかもしれない。けれど何をどう思われようと、僕はかわいいものが大好きだ。

 

そう考えていたのは「かわいいものは正義である。かわいいことは無害であるし、かわいいものが存在するだけでみんな幸せじゃないか。」という理論(?)に基づいていたからというか、とにかく自分にとって脅威にならないから、これほどまでに好きになっていたのかもしれない。

 

これだけは真理だ。かわいいものだけは正義であるべきなんだと思っていたある時、友人とこんな話をした。

友「◯◯っていう女優別にそんなかわいくないよな」

僕「いや、めっちゃかわいいじゃん!逆にどの辺がかわいくないのか教えてほしい」

友「どこがかわいいとかじゃなくて、普通に好きじゃない」

僕「好き嫌いの問題じゃん。なら普通に考えたらかわいいんでしょ?」

友「いや、かわいいも好き嫌いの問題やろ」

 

こんな他愛ないもない話ならよくあることだろう。それこそ、女優に限らず例えば某アイドルグループの登場などによって、ある集団の中で誰がかわいくて誰がかわいくないという議論は世の男性はうんざりするほどやってきたし、(実際こういう議論は主体が女性である方が闇が深い)あるコミュニティの中で誰彼はかわいいと序列をつけてしまうことは、どうしても起きてしまう。

 

しかし、僕はこれ自体があまり好きではなかった。「◯◯は別に言うほどかわいくないよね」「××の彼女なんか幸薄いよね〜」という、悪気はないにしろ出てきてしまうこれらの言葉に、僕は辟易していた。

 

それは上に僕が掲げた「かわいいは正義である」と信じている真理に基づいているからである。その存在が本当にかわいいかどうかは別として、かわいいというラベルによって傷つく人は誰もいない。逆に、上の場合彼女を悪く言われた××も傷つくだろうし、その彼女もそれを風の噂で聞いたら悲しむだろう。

傷つかない人もたまにはいるらしいが、そんなの日本くらいだ。それを笑うのが日本の文化だ。それもそれで僕は別に良いことだとは思う。日本人がそれに疑問を感じるのは悪いことではないが、外国人が疑問に思うのは、それはそれでおかしなことだと思う。

 

話を戻すと、僕はつまり「ある事物をかわいいとラベル付けすることによって誰かが被害を被ることはないし、逆に何かをかわいくないと否定することで誰かが傷つくのであれば、そんな無駄なことをするべきではない」ということを訴えたいということだ。

 

実は上の話をした友人とは、このあとこの私論についても議論を交わすことになる。

 

結論から言うと、どうやらかわいいは正義」 ではないようだ。順を追って説明する。

まず、僕が上にあげた「かわいいというラベルによって傷つく人間がいない」という前提が間違っているというところからだ。

例えば、あるかわいいかわいい野良猫がいたとしよう。誰にでもなつくし、それでいてかわいいもんだから、近隣の人間はその猫がやってくるとかわいくてすぐに餌をやってしまう。(この場合、条例などによって、野良猫に餌を与える行為が禁止されていない空間を想定してほしい)

なんだ、ごく幸せな日常じゃないか、誰も損害を被っていないじゃないか、と普通は考えたかもしれない。僕も以前まではそう考えていた。

しかし、この空間に、ある猫アレルギーの人間が住んでいたらどうなるだろうか?

周りの住民が餌を与えることによってその野良猫が住み着いてしまい、近所の道にその猫が現れ、その人は自分のアレルギーを発現させてしまう。もちろん、その人を慮って猫に餌を与えないという選択が、社会にとっては重要かもしれない。ただ僕はその直接的な対策の話をしているわけではない。今回の私論にダメージを与えるのはそこではない。

 

この場合、何が問題かというと、「猫がかわいい」ということである。

猫がかわいいというラベル付け、ひいてはそういう感情が、猫を飢えで死なせてはいけないという動機付けになり、餌を与えてしまう。もちろん、彼らは何も被害を受けていないが、それによってある一人の猫アレルギーの人間が被害を受けている。

 

もっとわかりやすい話をしよう。

ある女性は自分の顔をとてもコンプレックスに感じていた。しかし、周りからは「かわいい」と言われ、ある男性からは告白もされた。自分の嫌いな顔を高く評価され、全く自分の気持ちと合わないちぐはぐな評価を下される。もちろん、この女性がもっと自信を持てばいいのかもしれないが、それ以上にこの状況下では、女性はかわいいというラベルに傷ついている。

つまり、かわいいというラベルによって、無意識に誰かを傷つける可能性も往々にしてありうるということだ。

 

加えて、正義という言葉。正義であるということは、人間の行動の評価基準になりうるということだ。つまり何にも脅かされず、堂々としたさまでなければならない。かわいいということはそう考えれば一瞬に脅かされてしまう。かわいいものは我々に害を与えないかもしれないが、かわいいものは我々によって簡単に滅ぼされてしまう。つまり、正義であるためには脅威から身を守るための力も必要になるということだ。

 

これらの点から、かわいいは正義とは言えないことがわかった。きっと考えてみればクソほど当たり前なことを、クソほど真面目に考えてみただけである。

 

ただ、それでも僕はかわいいものが大好きだ。

人間がなぜかわいいものを求めるのかについては、またいつか考えてみたいなと思う。

 

 

しかし、猫を眺めている時に心に流れてくるあの平和な音を聴くたびに、やはりかわいいということは正義なのではないかとも思ったり…笑

いや、猫が正義なのか。笑

 

 

てぃおる