てぃおるの妄想録。

妄想・思考のはけ口。書きたいことをうんざりするほど書きたい。

優しいってなんだろう卍

つい先日、友人に「優しくなったよね」と言われたことがある。自分でも気づいていなかったが、言われてから「たしかに」という実感が沸いてきている。

ただ、その実感が果たしてどこからきたものなのかについて考えるうちに、「あれ、優しいってなんだ?笑」という謎にハマってしまったので、ここでゆっくり考えてみようと思う。

 

優しい=甘い?

 

こんな世に当たり前に出回っている言葉だから、「優しい」という言葉の意味についてまさか辞書を引くとは思わなかったが、引いてみると案外面白いことがわかったりする。

 

デジタル大辞泉』によれば、「優しい」には以下のような意味を持つという。

  1. 姿・ようすが優美である。上品で美しい。
  2. 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
  3. 性質がすなおでしとやかである。穏和で好ましい感じである。
  4. 悪い影響を与えない。刺激が少ない。
  5. 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
  6. 控えめに振る舞い、つつましやかである。
  7. 殊勝である。けなげである。りっぱである。 

 調べてみるとこんなにたくさんの意味が存在したのかとぎょっとする。そして、僕が思っていた意味としてもっとも近いのは2番の意味だけで、それ以外の意味は思いもしなかったものである。

そしてさらに驚きだったのは、「甘い」という意味がどこにもなかったことである。総じて「控えめである」というニュアンスを含んでいるので、そこに甘さを汲み取れなくもないが、世に言う「優しい=甘やかしている」という意味は言語としてそもそもどこにもなかったのである。

 

これは、何も「優しいということはただ甘やかすことではない。時には心を鬼にして厳しく、本当にその人のためになる行動を取れることだ。」というありきたりな結論に着地したいからではない。というのも、僕は優しさの本質はそこにはないのではないかと考えているからである。そもそも本当にその人のための行動を取れるという意味はおそらく辞書中の2番に包含されている。

 

むしろ僕は優しさとは甘さにやはり近いものであると考えているが、実際のところ、辞書が甘いという言葉を使ってこなかったということは、日本語は甘いを受け入れなかったということである。辞書を信じるだけの勉強法は浅はかだという論者に怒られそうだが、ここは僕の論を進めやすいので便宜的に辞書を用いているだけである。

(なぜ本を信じるべきかについては下の記事でふれている。)

 

thiothiosaurus.hatenablog.jp

 

優しくない人って逆に何?

では、今度は優しくない人について考えてみる。おそらく僕の見立てでは、上にあげた7つの意味のうち、「少なくとも一つを満たすものは優しい」なのだが、そうなると、「全ての条件を満たさないものは優しくない」になってしまう。

たしかに、優美でなくてひねくれていて思いやりがなくて悪い影響を与えて傲慢で恥ずかしげもなくて鼻持ちならない人間は、優しくなさそうだ。

しかし、だからと言ってそんな人間でも誰かにとっては優しさをもたらす人間ともなりうるかもしれないし、逆にただひけめを感じているだけの人間も、優しいとはいえない(そもそも5〜7番は、古語の意味として使われているものなので、現代にあてはめた優しいという実感とは、幾分か離れているかもしれない)。

つまり、上記の7つの条件はあくまで必要条件にすぎず、十分条件ではないのだ。いや、もしかしたら必要条件ですらないのかもしれない。そう考えるとさらに泥沼だが。

 

これ以上文字自体、つまり字面ばかりについて思考を巡らすのは難しいので、ここでなぜ僕が優しくなったと言われ、そしてそれに対して実感を得られたのかについてもう少し考えたい。

 

その中で同時に彼は「余裕がある」という内容にも言及している。彼の中では優しさとは余裕なのか? 僕はここに実感を獲得したのだろうか。いや、そういうわけでもない。余裕と言われれば余裕なのかもしれないが、僕の中ではちょっとだけ違う。

 

では、何が今までの僕を優しくしていなかったのか、逆に今の僕を優しくたらしめているものはなんなのか。

たしかに、今までの自分は物腰が穏やかではなかった。汚い言葉を吐いていたし(今もか)、すぐイライラしていたかもしれない。

たしかに、今までの自分は健気でも謙虚でもなかった。僕の場合、それは「臆病」だった。卑屈とも呼べるかもしれない。

今の自分を客観的に評価するのは少し難しいので、裏を返せば今の自分は上記の条件にあてはまらないということだろう。

 

勇敢な志

そう考えると、やはり優しさとは「強さ」のことなのかもしれない。

 

 

いや、突然強さだと言われても意味がわからないかもしれない。それもそのはずであるし、もしそうであるなら、「僕は強い」ということになってしまう。

しかし、僕が見てきた中で優しいという要素を持っている人間は総じて「強い」のだ。素敵なのだ。その笑顔、その振る舞いに魅了されるのだ。

彼らは彼らなりに欠陥を持ちながらも、その存在を認め、そしてそれらをも愛してしまう愛にあふれた人間なのだ。そして欠陥を認めたその笑顔には、やはり強さがあり、やはり優しさがある。

 

 

なるほど、そう考えると好きな男性のタイプに「優しい人」とあげる女性は、本能的にその優しさの奥底にある強さ、勇ましさに魅力を感じているのかもしれない。

 

強さとは僕の中で勇敢であることであり、志を持っているといったところだろうか。勇敢とは無謀という意味では決してない。志に支えられているから、勇敢なのである

 

そしてその勇ましさに支えられた人間味からは、優しさがあふれる。人に悪い影響を与えない。周りの人間に対して思いやりが持てる。

 

 

そしてその振る舞いは優美であり、どこか恥ずかしげでもある。

 

 

てぃおる

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