てぃおるの妄想録。

妄想・思考のはけ口。書きたいことをうんざりするほど書きたい。

「私」の目に映る世界

 

「#ファインダー越しの私の世界」

 

きっとどこかで見たことがある言葉であろう。

 

このハッシュタグInstagramTwitterなどではもはや定番のタグになりつつあると思うが、実際Instagramでは投稿数がすでに1000万件を超えているらしい。
ハッシュタグの中ではかなりメジャーなものになっているタグである。

 

そもそもファインダー越しの私の世界とはどういうことなのかというと、一眼レフカメラなどに存在するファインダーと呼ばれる撮影する対象を覗く画面のようなものを通して被写体を写すことから、「そのファインダー越しに見える私の世界はこのように広がっているんだよ」ということを伝えたいハッシュタグである(と思われる)。

 

 

そんなハッシュタグについて、僕が以前から思っていたことがある。もちろん今回も本当にくだらないことなので、考えすぎなのかもしれないが、それでも僕の中にはある一つの疑問が拭えずにいる。

おそらくこのハッシュタグの文脈から推定するに、「私という人間の目が見ている世界」と「私という人間の目がファインダーを通して見ている世界」は異なっているということが考えられる。というのも、もし異なっていないのであれば「私の世界」は「私の世界」であり、ファインダーを通そうが通さまいが「私の世界」は「私の世界」であるはずである。そのはずが、実際は「ファインダー越しの」という形容詞が付随し、私の世界を修飾していると考えれば、私の世界のベクトルは同じでも、少なからずなにがしかの修飾、あるいは脚色がこのファインダーによって行われているということである。

果たしてそうなのかどうかはおいといて、一体この「ファインダー」はなんなのかについて考えること、そして「#ファインダー越しの私の世界」に対する雑然とした思考をしてみたいと思う。

 

 

他人事のように書いたが、実際僕もカメラを構え、写真を撮るカメラ好きの端くれなので、ファインダーを覗く瞬間のワクワクや、写真が浮かび上がる瞬間の高揚感に関しては共感せざるをえない。その点において、ファインダーという一見するとただの画面であるはずのものは、ただならぬ何かをカメラマンにもたらしていることは間違いない。

しかしながら、僕が疑問に思っているのは、「ファインダー越しに私の世界は変わる必然性はあるのか?」ということである。いや、逆に僕の中では、たとえファインダーを覗く瞬間がワクワクしたとしても、僕の目は僕の目であると思っているし、僕の世界はたった一つであると思っている。だからこそ、ファインダー越しであろうと、メガネ越しであろうと、僕の世界は変わらない。僕の目には、本当にそのように見えているはずで、それを信じたいはずで。僕の目は僕のものだ。

 

                                                    

前置きはこれくらいにしておいて、本題にふれたいと思う。

 

 

どうして、カメラを構えるのだろうか。

「素敵な景色を写真に収めたい」

「最高の瞬間をおさえたい」

「思い出を共有したい」

「インスタで評価されたい」

きっと他にも写真を撮る動機なんていくらでもあるし、どんな動機であれ、それらを叶えることができるカメラという機械は素晴らしいものだ。その中で僕ももちろん、確固とした動機がある。はじめはカメラなんてただいい画質で撮れるしなんか背景がボケるからいいじゃん!くらいにしか思っていなかったが、写真を夢中で撮っていくうちに、ある新しい動機に気づいた。

 

 

「僕は、僕の目を信じるためにカメラを構えているんだ」ということ。

 

先ほども触れたように、僕の目は僕の目であり、そこから見える景色も事物も人も、どれも僕の目以外では捉えることができない。それがファインダーを通そうが、何をしようが変わることはない。僕だけの目だ。

しかし、僕は僕自身を信じることができないことが多い。

「今見たものは本当にそれであるか?」

「お前の目は本当にその世界を捉えているか?」

もしかしたら、幻想なんじゃないか。そうして不安だから、僕はカメラを構える。

僕の目を僕自身が信じることができるように。

見えたものと記憶を結びつかせ、できる限り「これだ!」と思える世界を信じる。その世界に嘘偽りはないはず。たとえ何があっても僕の世界は変わらないという前提さえ信じ抜くことができれば。

 

だから僕は、ファインダーを覗く前にその対象を肉眼でまず観察する。それこそが、カメラを構える目的であり、写真に残す目的であると思っている。

「僕が見てきた世界は間違いなくここにあった」という証を振り返るため。僕の目をこれからも僕が信じていけるように、シャッターを切る。

 

「ファインダー越しの」私の世界を「私の目に映る」私の世界に近づけていく。

 

それこそが僕がカメラを構える目的。

 

てぃおる

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