てぃおるの妄想録。

妄想・思考のはけ口。書きたいことをうんざりするほど書きたい。

洋服に感情を。彼に光を。(前半)

僕は最近、なかなかに奇妙な感情の中をさまよっている。僕のこの感情がなんなのか、いまいちわかっていない。けれど僕にはこの感情は無視することのできないものである確信だけはある。今わかっているのはそれだけ。たったそれだけ。

 

……まあここではあえて伏せておこう。

 

僕が好きなものについて話題をあげるとしたら、だいたい決まって言うのは、「洋服」「写真」「パスタ」「言葉」である。

 

その中で僕が今回話したいのは、ある洋服にまつわる、ある友人のある話。 

                                                   

 

 彼は生まれてこのかた、洋服について考えることなどなかった。高校に入学するまで、親から買ってもらった洋服を身につけるばかりで、自ら洋服を求めに街へ繰り出すことなどなかった。いや、いったいどうして、そんなものに考えを巡らすのだろう。考えるだけ時間のムダじゃないか。金のムダじゃないか。まして俺は、そんなことよりも部活に時間もお金も投資したいし、どうせ同じお金を使うなら友達と映画を見に行ったり、テーマパークに行ったりしたほうが楽しいじゃないか。

 

 そんな彼は高校に入ると、ガラリと考え方を変えた。彼は元来低身長だった。所詮彼のようなひねくれ者でも、結局幸せになりたいという気持ちからは逸脱することはできない。街を見渡せばあふれ返る暴力的なまでの笑顔、そして素敵な洋服に身を包み闊歩するカップルや家族。彼と彼らとの間には決定的な何かがあることに、彼は気がついた。

 俺には何が足りないんだろう。身長?外見?能力?いや、能力でいったら大して変わらないはずだ、じゃあ自信か?いやでも俺にだって得意なことはあるし、みんななんて欠点だらけじゃないか。俺に比べたら大したことないやつらばっかりだ、しょうもないやつらばっかりだ。

 

 彼は洋服を選び、身につけることにした。心のどこかで、自分がダサいことに気がついたからだ。自分はひねくれ者だと斜に構え、全ての事物に否定的な態度を示し、赤いものを青いんだと主張するその傲慢さに。彼の目は青かったのだ。洋服を身にまとうことで、彼自身はかっこよくなれる、幸せになれると直感で気づいたのだ。まるで何かに取り憑かれるかのように、ファッション雑誌やインターネットの記事を見ては、「モテるための秘訣」やら「低身長を隠す技」を体に染み込ませていった。

 

……つもりだった。

 

 そうして彼は、人の目を更に気にするようになった。もともと劣等感の塊だった彼は、高校に入るとその体積を更に大きくさせていった。大きな挫折を経験し、彼は彼のままではいられなくなった。このままでは彼は、自らの劣等感を誰かにあてがうか、それを消化する術を身につけなければ、どうにかなってしまいそうだった。

 なんでみんなあんなに幸せなんだ。俺は一体どこで報われればいいんだ。何にも生み出せていない。結果も実績も、センスも、俺は持ってない。持ってるのはこの劣等感だけだ。これをこのまま他人にぶつけて、煙たがられる人生は嫌だ、こんなダサい自分は嫌だ。

 他人に承認されることというのは、えてしてその本来の目的を失うことがある。承認とは存在承認、結果承認、事実承認のように様々な形態がある。本当は認められた上で自分が満足することが目的であるはずなのに、そもそも劣等感が強く、自己肯定感の低い人間に対しては承認そのものは効果的ではない可能性がある。それに彼は、気がついていなかった。

 

 そうして彼は、洋服の印象を改善することで、一時的な満足を得た。社会の価値観を取り込み、あたかも自分がその価値観を生み出し、それによって人生を変えたかのような幸福を感じたのだ。これだけは間違いない、と彼は話す。

 やっぱり俺に足りなかったのは手段の知識だけであって、根が悪いわけじゃないんだ。俺もみんなみたいにかっこよくなれるんだ。なんだ、簡単なことじゃないか。俺だってモテるし、俺だって幸せになれる。

 

 しかし、その幸福的感情は、そう長くは続かなかった。

周りが飽きたのだ。その彼の言動に。彼の洋服への執着心に。もういい、うるさい、どんだけ偉いんだお前は、お前なんて所詮チビだろ。世間は想像以上に彼のことなんてどうでもよかった。彼が洋服のことを気にかけるようになってからモテるようになったかどうかなんて、どうでもよかった。実際、その一時的充足はむしろ彼を苦しめた。好きの反対は嫌いではなく、無関心とはよく言ったように、彼の元から、関心の波が音も立てずに引いていくのを、彼は見守るしかなかった。

 そうか、俺は結局悲劇にすら語られないような冴えないモブキャラなんだ。俺が大舞台のステージにあがることは許されない、誰も興味がないからだ、金にならないからだ、地球にとっては空気として存在していればいいわけであって、俺自身が幸福になることは必要ないんだ。必要とされていなんだ。

 

 そうして彼はまた、大きな挫折を経験した。

 誰も俺を相手にしてくれないなら、じゃあ部活で頑張ればいい。私服をいくらかっこよくしたって、内面がスポーツマン的でなければ、きっと周りからしたら汚い人間なんだ。そうだ、俺には部活があった。これさえ頑張れば、もしかしたら報われるかもしれない。なんで今までそんな簡単なことに気がつかなかったんだ。

 

 しかし、彼の決意に対して返ってきた贈り物は、あまりにも残酷だった。

 彼はレギュラーにはなれないまま、部活を引退していった。

 

 

 大学生になると、彼は頑張る行き先を見失った。勉強もほどほど、サークルには入りそびれ、文字通り「大学生」をやっていた。となると彼は暇だった。暇になると憂鬱になる。今まで部活という枠組みに組み込まれることで自己の安定を保っていた身としては、よりどころのない生活はより一層の空虚を生み出し、自己について向き合わざるをえなくなる。忙しさだけが彼にとって気を紛らわす手段であり、その余白は彼にとって苦痛だった。誰か俺を助けてくれ、こんななんの取り柄もない俺だが、助けてくれ。

 今までの自分とは明らかに違うことに、彼は気がついていた。周囲の価値観を羨み、それに接近することで承認欲求を満たしていた彼は、今や周りの価値観に合わせることに疲れていた。かっこよくなることに疲れていた。そんな自分がダサくて仕方ないことなど、実際はとうの昔に気がついていたはずなのだ。自分はかっこよくなんかない、なれるわけもない。自分は自分、他人は他人だ。でも素直なところだけは、昔から変わらない。俺はひねくれ者なんかじゃない、本当の本当に素直なだけなんだ。

 俺はかっこよくなりたいんじゃない、モテたいんじゃない、奇を衒いたいんじゃない、ただ、自分のことを許してやりたいだけなんだ。だから誰か助けてくれ、俺のことを頼むから許してくれ。

  

 

 彼は元来低身長だった。それがコンプレックスだった。低身長は幸せになれないと思っていた。ある時親を憎んだこともあった。しかし、親に対してのその八つ当たりはあまりにも理不尽だし、あまりにも矛盾した自己否定につながりかねないということには気がついていた。そんな低身長を気にする自分もいつの間にか嫌いになっていた。許してやりたいのに、理想と現実とのギャップに襲われ、彼の感覚はまた麻痺をする。素直な心を現実が汚す、周りの目という見えるはずのない、関係のない幻覚が彼の心を更に汚していった。彼自身が悪いのでも、他者の存在が悪いわけでもない。

                                                    

 

僕はもしかすると、この幻覚に憤りを感じているのかもしれない。彼のことを考えると、彼を救う方法は他者が存在を承認することだけでなく、彼自身が自らを承認することが必然になってくるからだ。周りの価値観、現実とのギャップ、そんなものはモラトリアム時代を生き抜く学生としては衝突しても仕方のないこと。その問題そのものは、存在価値がある。これについて考えることがない、この概念自体が存在しない社会のデザインは、現在の共同体に生きる個人を考慮すれば本質的には不可能であるからで。問題は彼が自信をモテず、彼自身が救われないことである。

 

彼を救ったものはなんなのだろうか、いや、そもそも彼は救われたのだろうか。

 

てぃおる

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