てぃおるの妄想録。

妄想・思考のはけ口。書きたいことをうんざりするほど書きたい。

ぽじてぃぶ。

 

ポジティブ(positive……明確な、積極的な、前向きな、肯定的な、等の意味をもつ英語の形容詞。しばしばカタカナ英語としてこれらの意味を包含し、多義的に「ポジティブ」とそのまま使われることも多い。

 

そのポジティブについてだが、最近気がついた。 

 

 

結論から述べると、僕はポジティブという言葉がすごい苦手だ。

 

 

そう思うのは、いかんせん僕がネガティブな感情に支配されたり、物事に対してネガティブな解釈をしがちであるがゆえに、ポジティブな感情、ポジティブな解釈、ポジティブな思想その他もろもろに余計目がいってしまい、嫌な言い方をすれば暑苦しく感じてしまうから、というのは容易に想像がつく。

 

 

……いや、僕はポジティブという言葉が苦手なんじゃない。ポジティブを全肯定する態度が苦手なのだ。

 

 

基本的にポジティブな感情や考え方がもたらすものは大きいというのが一般論だ。

人生に生きがいを持つこと、ある物事を否定的にとらえないこと、多少の失敗で落ち込まないこと、などなど、ポジティブな人間の特徴はいろいろある。

そして、そのどれもが「これらの考え方は間違っている」と簡単にはいえないこと。

 

冒頭にも述べた通り、ポジティブという言葉には「肯定的な」という意味を持つ。

つまり、僕が言いたいのは、ポジティブである状態やその形容そのものに対しても、肯定的な態度をとらざるをえない、ということだ。

 

 

ポジティブが最高善だとすれば、否定的態度を寄せ付けないという点において、またそもそもポジティブに物事を捉えたりポジティブな言動をすることによるメリット(詳しくは省く)において、なるほどポジティブとはすばらしいものだと思わされる。

 

 

けれど、僕はこのポジティブを肯定することが苦手なんだ。

 

 

 

自分を振り返ってみるとなんとなくその理由がわかる。どうして自分がポジティブになりえないか、どうして自分はネガティブな感情に支配されてしまうのか。

 

 

そこにはきっと、自分の成功体験と挫折、そしてその記憶が結びついている。

成功体験そのものは、おそらくポジティブな結果と捉える人間が多い。僕もそのうちの一人だ。ただ僕はその成功体験に固執しないし、事実として記憶にもあまり残っていない。けれど成功しているということは、自分がポジティブな何かをしたからに違いない。

 

 

僕の記憶に残るのは、成功体験でも、目標に向けて努力した日々でも、はたまた人生に希望を見出そうとする姿勢でもない。

 

 

コテンパンに打ちのめされて、プライドも希望も自信もへし折られて、挙げ句の果てに自分までもが自分自身を傷つける、というある経験に対する解釈である。

 

 

僕はいつでもそういう人間だった。悔しい、ムカつく、クソくらえ、無理だ、どうしようもない、そういったネガティブで邪悪な言葉を吐き出しては、自身のプライドは打ち砕かれた、これは挫折なんだ、と解釈することが得意だった。

そう解釈せざるをえないから。「これでいいや」は、本質的にはポジティブではないから。

 

 

ネガティブな感情の持つパワーはすさまじい。時にいわゆる「悪」とされるような事件や問題をも引き起こす。ネガティブが悪かどうかは、この感情を人に押し付けるかどうかによって決まる。つまり、ネガティブな感情そのものは、別に悪でもなんでもない。

 

 

僕はこのパワーを、知らず知らずのうちにバイタリティに変えていた。見返してやる、自分に復讐する、畜生、そうやってエネルギーを自らの目標にあてがっていた。この流れは、いわゆる「ポジティブな」流れだと思う。

つまり僕という人間は、ネガティブな感情によって自らのプライドをも傷つけ、その反動を利用して自らの成功につなげていたのだ。

バネは縮まないと伸びないのと同じように、人間もボッコボコにされる経験は必要だ。

 

 

だから僕は、ネガティブがもたらすものも、肯定したい。ネガティブでも、生きていけるんだ。無理してポジティブになろうとしなくていい。そう最近気がついた。

 

ポジティブであることだけが良いことじゃない、ネガティブでもいいんだ。

 

ヘコんでヘコんで、泣いて、さんざん理不尽な文句言って、わけわかんなくなって、それでいいんだ。

 

いつか谷底にたどり着ければ、あとは登るだけなんだから。

 

 

てぃおる

  

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……ちなみにストレングスファインダーは、僕の強みのひとつにポジティブを挙げている(笑)

周りからは「え〜合ってないね〜」と言われるが、実は自分では一番しっくりきている。