てぃおるの妄想録。

妄想・思考のはけ口。書きたいことをうんざりするほど書きたい。

着たい、食べたい、住みたい。

世界で一番頭悪そうなブログのタイトルである自信があります。笑

 

まあ結論がタイトルなのでもうここからの文章はほぼ読まなくていいかもしれません。

 

ミニマリズムって何者

なんでこんなことを書くかっていうと、最近すごい思うことがあるんです。

よくこんな話を聞きます。

 

「服を選ぶ時間がもったいない」

「食べるものなんて腹が満たされればそれでいい」

「部屋はただ寝るとこだから」

 

これはいわゆる「ミニマリズム」という考え方と関連しています。

そもそも、こういったミニマリズム(スティーヴ・ジョブズが求めた、余計なものを一切削ぎ落としたデザインのように、装飾的要素を最小限に取り除いた芸術的様式のこと)が普及したのは今に始まったことではなく、厳密に言えば今無数に立っているビル群も、その中の白い壁も、そこで働く無機質な白シャツに黒のスーツを着たサラリーマンも、みんなこのミニマリズムの潮流によって生まれたものです。

  

 最近のライフハックやハウツー系の文章で取り扱われているミニマリズムは、大抵「断捨離」を指していることが結構多いです。(笑)

 

最初にも書いたように、現代のミニマリズムという言葉には、この断捨離によって何を生み出すのかに重点が置かれているということです。服が毎日一緒なら服を選ぶ時間を生み出せる。毎日ご飯が一緒ならご飯を作る時間、食材を選ぶ時間を生み出せる、部屋で寝るだけならテレビを見たり、そういった何気なくかかる費用も時間も抑えられる。

 

これによって生み出されるものって一体なんだろう??

 

*欲求は低次元から満たされていく

 

ただ、この断捨離、一つ問題があります。

 

それは、断捨離が目的化して本来の欲求を満たせなくなることであると思います。

 

 

「欲求というのは低次元のものから満たされていく」、というのがここで言いたいことになります。(僕はマズローの欲求の五段階説というものに基本的には則っていますが、詳しくはググってください笑)

ここでいう低次元とは、「衣食住」に含まれるような人間が社会で生きていく、また生命活動を維持するにあたって必要不可欠なものであるものを指します。

 

最近の断捨離においては、これらを必要以上にそぎ落とす、あるいはないがしろにしてしまうようなケースが多いと思うのです。かと思えば、自己実現や尊厳の欲求に対してひたむきに走っている。合理的なのかもしれないが、ベストではない。そんな風に僕の目には映る。

 

そんなに走って大丈夫? 美味しいご飯食べないの? 好きな番組も見ないの?

 

急がば回れ

 

で、結局何が言いたかったのかというと「急がば回れ」ということです。

 

無駄を一切削ぎ落とし、一見高次元の欲求に向かって近道しようとしても、やっぱり大変なんですね。

もちろん、イチローが行っている毎朝カレーを食べることのような試みは、無駄を効果的に削ぎ落とし、ルーティーンにすることでパフォーマンスを向上させるというはたらきが間違いなくある試みでしょう。でも、みんながみんな、そうじゃありません。

この低次元の欲求が満たされなければ、高次元の欲求を心の底からは求められない。

衣食住はやはり人々にとって、ある種実践的であり、本質的でもあるのです。

 

自分は本当に心の底から、カレーが食べたいのか?!

自分が本当に食べたかったのは何?何なの!言ってごらんなさい!!

そうかぁ〜実は俺、チキン南蛮欲してたのか〜 じゃあカレーにチキン南蛮乗せよう!それは食べすぎ

 

 

でも、それでいいと思うんです。心の底から沸き起こる欲望、普段これを無理してまで削ぎ落としている人は、今一度大切にしてほしいなあって思うんです。

大切な大切な、自分の気持ちだから。

 

かわいい洋服、かっこいい靴、我慢して行っていないらーめん屋、好きなお部屋のフレグランス、好きなドラマ。

 

 

大切にしてみてはいかが?

 

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